- 学校で話せなくて苦しい思いをしている子供たち
- お子さんの「場面緘黙症」で悩まれてる親御さん
このような方の参考になればと思い、この記事を書くことにしました。
ブログをやっているからこそ「僕から伝えられるメッセージ」だと思っています。
僕は子供のころ…場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)でした。
約12年間、場面緘黙症で苦しんでいました。
僕が子供のころから場面緘黙症であったことを知ったのは、大人(30代)になってからです。
※会社の福利厚生で受けた心理カウンセリングをきっかけに知りました。
それまでは自分が子供のころ、「なぜ学校で話せなかったのか?」原因すら分からず。
当時は一般的な”おとなしい子供”であり、一人でずっと悩みながら学校に通学していました。
現在はインターネットでいくらでも調べられる時代。
当時、僕が場面緘黙症だったことが分かり適切な治療を受けていれば「違った人生だったのかな?」と後悔してしまうことがあります。
でも、僕は過去を受け入れ”今”を生きるしかありません。
現在、場面緘黙症で悩んでいる子供達、もしくは親御さんに、僕が実際に経験してきた実体験を赤裸々に語ります。
場面緘黙症で悩まれている子供達、一人で悩まないでください。
今の時代なら、理解してくれる人、しっかりと治療できる環境も整っていると思いますので。
それには親御さんの理解も必要です。”おとなしい子供”で片づけないで下さい。
この記事が、悩まれている方々の参考になることを願っています。
場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)とは‥
・家庭では話すことができるのに、社会不安(社会的状況における不安)のため、ある特定の場面・状況では話すことのできなくなる疾患である。子供が自宅では家族らと問題なく会話をしていても、学校や幼稚園など家の外では全く、あるいはそれほど話さず、誰とも話さないという例は多い。そして、その子供は非常に内気な様子に見え、グループでの活動に入りたがらなかったりする。
引用:ウィキペディア
かんもく、緘黙、緘黙症、場面緘黙症、選択性緘黙症などといろいろな呼ばれ方をしている、緘黙症。緘黙症の主な症状は、ある特定の場面や状況で話せないことです。ただの内気や人見知りではありません。本人が話したいと切望している場合がほとんどです。
引用:りたりこ発達ナビ
子供の頃、場面緘黙症だった僕の真実と実体験
1980年代~1990年代前半、自宅にインターネットがなかった時代…
現代のようにパソコンやスマホで何でも調べられたら、僕は救われていたかもしれない。
だからこそ、今、場面緘黙症で周りに理解されず苦しんでいる子供たちが救われることを願ってやまない。
①:小学生時代の僕
小学生の頃、僕は「学校」で友達と話せなかった。
自分でもなぜだかよく分からない。
でも、学校に行くと喋りたくても喉から声を発することができなかった。
だから、クラスの友達から話しかけられたら、
- OKなら「うなずく」
- Noなら「首を左右に振る」
話しかけたら身振り手振りで反応するしなかった。
それと筆談(紙に文章を書く)して、伝えたい事・思っている事を友達に伝えた。
(※もちろん本心は声を出して伝えたかったです)
普通に話そうとすれば話せるのに…声に出せば済むことなのに…声を出せない。
学校にいると、なぜだか友達と話せなかった。
僕が声を出して話せるとき。それは授業で発表・発言しないといけないとき。
この時は【声】を出すしかなかった。
なんとか発表の時は声を出せるのだけど…やっぱり普段、友達とは話すことができなかった。
それと
- 先生の目(大人の目)を非常に気にする子供
だったと思う。
教室で友達と一緒に笑顔でいたときも、その場に突然、先生が現れると、なぜか無表情になる自分がいた。
「先生の前では笑ってはいけない」という意識が自分の中にあった。
大人になった今でも、なんでこの思考で抑圧されていたのか…原因が分からない。
今の僕でも分からないのだから…小学生だった頃の僕も、かなり苦しんでいたと思う。
でも、不思議なことに学校を出て家に帰ると普通の子供に戻れた。
友達の家に遊びに行っても、普通に友達と話すことができた。
今思い返すと、本当に不思議な子供だったと思う。学校では友達とまったく会話できないのに、学校の外に出て友達に会うと話せるのだから…
なぜ、学校という場所に踏み込むと、友達とも喋れなくなるのか?自分でも分からず、ずっと苦しかった。どうしていいかも分からず、自分一人ではどうにもできなかった。
小学生の知識・経験では、「自分が精神的な病気・疾患?」なのかを自己判断することもできない。
当時は調べる手段も情報すらなかった。(※インターネットも普及していない時代でした)
親にもまったく理解してもらえず…。
母親からは『学校で喋りなさい!!』と叱られた記憶がある。
母親に『喋りなさい』と言われると、逆に余計に喋れなくなった記憶がある。
子供でありながら、自分の性格を指摘されるのが嫌でもあったし、自分でも変えたくても変える方法すら分からなかったのだから、イライラしたのだと思う。
余計に喋る気力を奪いとられた感じがした。
母親が自分の苦しみを理解してくれないことへの抵抗だったのかもしれない…
この状態のまま、小学校を卒業。
今思い返すと「本当に6年間、この性格でよく卒業できたなぁ」と不思議に思える。
幸運にも「いじめ」の対象にならなかったのも、無事に卒業できた要因だったのかもしれない。
【体験談】
場面寡黙症の子供は話したくても話すことができないのです。僕自身も学校で友達と話したくて仕方ありませんでした。
友達と「話したい」のが本心です。
筆談もしていましたが、心の中では「自分はなんで声をだせないんだろう」と、ずっと悩んでいました。自分を責めていましたね。でも周囲に相談できませんでした。
②:友人に恵まれた、中学生時代の僕
中学生に進級しても、状況(性格)は変わらず。
小学生時代と同様に、クラスの中では友達とも話せない…。
学校内外で付き合う友達も限られてきた。
小学校時代からの友達とは、学校の外で話すことができたが、新しい友達(クラスメイト)とは、学校の外でも全く話せなくなってしまった。
部活は【陸上部】をやっていたが、自分から全く話さない生徒だったので顧問の先生もどう接していけばいいのか手を焼いていたと思う。
部活のメンバーに馴染めず、練習に参加する日もあれば、帰宅する日もあった。
(※いわゆる帰宅部に近い状況でした)
中学生になったころから”集団生活”・”グループ活動”に違和感、居心地の悪さを感じるように…。
それでも「スキー教室」「修学旅行」など学校のイベントには問題なく参加することができていた。
クラスメイトと喋らなくても、うまくやっていけていた時期でもあった。
これは”小学校からの同級生”が同じクラスにいたことも大きかったと思う。
今振り返っても、中学時代に「自分はなぜ話せないのか?」真剣に悩んでいた時期だった。
親は性格的な部分で問題があるとは認識していなかったのかもしれない。
”ただの大人しい子供”として、それほど問題視していなかったのかなと思う。
むしろ、自分の子供がちょっと変わった子供であることを認めたくなかったのかもしれない‥
とても繊細で神経質、周りを気にしてしまう子供であった。
自分の考え・思いを口で伝えられない事に”強いストレス”を感じ始めた年頃でもあった。
心の中では「学校でも友達と話したい」という気持ちがあったのは本心である。
でも、一旦話せない状況が続くと
- 「自分が突然話し始めたら、クラスのみんなにどう思われるだろう‥」
- 「おかしくなったと思われないだろうか‥」
など、注目されてしまう気がして、自分を変える勇気が出せなかった。
結局のところ、
- 「喋らなくてもなんとかなるから、このままでいよう」
という気持ちが勝り、自分を変えることができぬまま、時間だけが過ぎていった。
結局、中学生活3年間も性格は変わらぬまま、なんとか無事に卒業することができた。
【体験談】
クラスで話せない状況が長期化すると、途中から話はじめるのが怖いのです。
それは、クラスのみんなから「どう思われるだろう」という恐怖心があるから。だらか「今のままでいよう」と、性格を変えられない状況が続いてしまいます。
担任の先生も「ただのおとなしい生徒」として、真剣には向き合ってもらえない場合もあります。
③:不登校を経験した、高校生時代の僕
高校に進学すると、小学・中学時代の友達とも別々の高校となり、
全く誰も知らないクラスになってほしいという願望があった。
なぜなら「自分の事を知らないクラスメイトだったら、新しく生まれ変われるんじゃないか!」って思えたからだ。
いわゆる‥
「高校デビュー」だ!
しかし、この夢はあっけなく崩れた。
高校デビューの初日、運悪く中学生時代の同じ陸上部だった男子生徒と一緒のクラスになってしまった。
もう、これは気まずかった。これじゃ『高校デビューできないじゃないか』と、ガッカリしたことを今でも覚えている。
失望すらした。この3年間、どうなるのだろうかと…
(※のちに、この嫌な予感が的中してしまう)
高校性になったら性格が変われるのか?
やはり、どうしても変われなかった。
変わりたくても変わるための「方法」「手段」が自分では分からなかった。
初対面のクラスメイトにどう接していいかも分からず、”新しい友達”の作り方も分からなかった。
初めからクラスに馴染めていなかったと思う。
授業の発表のときを除いて、ほとんど声を出すことがでず、昼休みも1人で過ごす日々。
気が付いたら、自然と一人ぼっちで昼食を食べる毎日となっていた。
高校時代は文化祭、体育祭も楽しめず…。
集団生活がこんなに苦しいものだとは。
小中学校時代と比べ、学校に行くことが苦痛でたまらなくなっていた。
当時はストレスもかなり溜まっていたと思う。
肌が荒れてニキビができやすかったし、お腹も崩しやすかった。
性格も以前と比べて暗くなってしまっていた。
なんとか高校1年、2年…と進学することが出来たけど…
高校3年になり、ついに学校へ行けなくなった。
クラスに馴染めていなかったので学校に行くことが苦痛でしょうがなかった。
僕は、ついに不登校になってしまった。
担任の先生が対策案を色々と考えてくれて、一時的に保健室に登校することに。
教室には行かず、保健室に登校して3~4時間したら帰宅する。
こんな状況が1ヶ月近く続いていたと思う。
それと、保健室の先生が精神科(病院)を紹介してくれて、そこの病院へ通院を始めた。
(※これが人生初の精神科受診でした)
今ではハッキリとは覚えていないが、安定剤の薬を処方されて飲むことに。
気分が安定するまで、この薬を毎日飲み続け、徐々に気持ちが上向きになっていた。
(※この時、薬の効果ってすごいなと実感していました)
そして不登校になってから1ヶ月ちょっと経ったとき…
保健室の先生に『明日からまた教室に行ってみます』ようなことを伝えたのを鮮明に覚えている。
そして約1ヶ月ぶりに教室へ。
クラスメイト達がすごい驚いた顔をして僕を見ていたのを覚えている。
この時の「勇気」はどこからきたのだろうか?。
今でも分からない。でも「最低でも高校は卒業したい!」という強い気持ちがあった。
(※せめて高校だけでも卒業しておかないと、将来すら見えてこなかったからかもしれないから)
最終的に、卒業に必要な単位ギリギリだったけど、なんとか卒業できた。
この高校3年は本当にしんどかった。
修学旅行のイベントなどには参加せず、文化祭や体育祭も思い出がない。
ただ、なんとか3年間で高校を卒業するためだけに登校しているだけの毎日でした。
【体験談】
高校生になっても”場面寡黙症”である場合、いじめの対象にされる可能性が高まります。少し変わった生徒としてからかわれる、嫌味を言われる場合があります。(僕は嫌味を言われる経験をしました)
だからこそ、中学生くらいまでに”場面寡黙症”を改善することが望ましいと思います。
高校デビューから、いきなり自分を変えるには、周囲の協力・理解も必要です。
④:1年間浪人して大学へ入学【人生の変化点】
高校時代、精神的に参っていたところもあり、進学に向けての勉強に集中できなかった。
高校卒業後、浪人して予備校に通うことに。
その結果、工学部の〇〇大学に合格することができた。
大学では、徐々にではあったが、新しく知り合った友人と最小限の会話ができるようになった。
大学に入ったことで、本当に自分変われた1歩だったと思う。
ただ、小中高と学校内でのコミュニケーションが不足していたこともあり、
講義で発表したり、大勢の集まりで話すのは苦手だった。
(※1体1の会話がやっとできるという感じ)
でも【話せる】というのは、気持ちを伝えるこができて嬉しかった。
大学ではサークルに入らず、講義を終え帰宅してからはアルバイトをしていた。
大学生になってから、下記のアルバイトで対人経験を積んだ。
- サイゼリヤでの調理、接客
- パチンコ店でのホール接客
サイゼリヤではレジの接客。パチンコ店は店内アナウンスを経験。
自分がこんなことまで出来るとは思いもしなかった。
たぶん、バイトで接客を経験したことが、少しづつ自分を変えていけるキッカケになったのだと思う。
少しづつ人と接することで自信にもつながっていた。
大学での4年間は、明らかに小中高で経験した12年間の自分とは違うものだった。
彼女もできた時期もあり、自分としては”対人関係が大きく飛躍”出来た時期でもあった。
ただし、大学生活のなかでも「研究室での打ち合わせ」「人前での卒論発表」では極度の緊張があった。
発表時に”自分が話したい内容”をドラマの台本のようにメモをして準備しておかないと不安でしょうがなかった。
途中で頭が真っ白になって、話せなくなって固まってしまうのが怖かった。”不安”な気持ちが完全に改善されていたわけではなかった。
これも、幼年期の経験がこうさせてしまったのだと思う。
大学4年間に関しては、精神科には一度も通院していない。
「もう自分は大丈夫かも」という慢心な気持ちがどこかにあったんだと思う。
今振り返ると、この時期も定期的に精神科に通い続けて
- 人前で発表する恐怖
- グループ活動の苦手意識
を真剣に改善しておくべきだった。
社会人になり、対人関係の経験不足が露呈される
大学卒業後、社会人となったが、やはり対人関係に支障がでしまった。
子供の頃から【集団生活】が苦手だったこともあり、社会の組織に入ることに不慣れな自分がいた。
職場でうまく自分の意見を言えない。上司の目を伺う。これは当然のことだった。
小学生のころに感じた【先生の前では笑えない】と似たような感覚。
入社1社目の会社で”社交不安障害”を発症。
入社3年目に”抑うつ”を経験。休職したがそのまま退職という流れになる。
その後も、2~3年で転職を繰り返すことに…
子供の頃の自分から完全に卒業できていなかったのかもしれない。
※【追記】社会人編の記事を投稿しました
関連記事:幼少期から場面緘黙症だった僕の新社会人時代(入社1年目)の経験談~悲劇を乗り越えた話
僕が場面緘黙症を知ったキッカケと心境
社会人になってからも人間関係で悩んでいた。
僕が30代になったころ、職場の上司からのイジメによって精神的に疲れてしまい、会社の福利厚生にあった”心理カウンセリング”を受けることにした。
これをキッカケに子供の頃の僕は”ただのおとなしい子供”でなかったことを知ることになる。
それは…
僕は場面緘黙症だったということ。
心理カウンセラーの方から「場面緘黙症」という言葉を教えていただいた。
まさに子供の頃の僕は、場面緘黙症だったんだ。
だから学校で友達と話したくても話せなかったのか?
まさかこの歳(30代)になって、この事実に出会うとは衝撃すらあった。
複雑な心境でもあり、自分は病気だったんだな…
でもなぜか”安心感”すらあった。原因が分かったという安堵感からきたものだろうか。
今のネット社会に生まれていたら、もっと早い段階で自分が場面緘黙症であることを知ることができたかもしれない。
悔やむときがある。でも、悔やんでも仕方ない。
時間は戻らないのだから、今を生きるしかない。
小学生~高校生の12年間、無言のまま学生生活を送っていた過去を変えることはできない。
結果、大人になってから【人間関係】を理由に転職を繰り返してしまっている。
いい大人になった今でも、組織に属するのが苦手だ。
お子さんの場面緘黙症で悩む親御さんへのメッセージ【僕からの願い】
幼少期から社会人になるまでの実体験を包み隠さずに語ってみました。
場面緘黙症は本人が1番辛いものです。
くどうようですが、もう一度言わせてください。
場面緘黙症は本人が1番悩んでいます。
真面目な子が多いので、親に心配をかけたくないから辛くとも我慢しています。
もし親御さんで『自分の子供が学校でまったく友達と話していない』という噂を聞いたら、慎重にお子さんと向き合ってほしいです。
- ただのおとなしい子
- 大人しい子 = いい子・真面目な子・素直な子
このような感じで、安易に片づけないでください。
お子さんが学校でしゃべれなくて、何年も悩んでいたら胸が締めつけられませんか?
(※もしかしたら親御さん自身が目を背けたいのかもしれませんよね)
でも、一番苦しんでいるのは【お子さん自身】なのです。
本人(子供)はなかなか親には相談出来ないもの。
(※僕も相談できず、子供のころはずっと一人で悩んでいました)
場面緘黙症の子供は1人で抱え込んで悩み苦しんでしまう傾向があると思います。
だからこそ、お子さんと真剣に向き合って欲しいのです。
僕のように
- ”言いたいことも言えない我慢ばかりの学生時代”
を過ごす子供達が、親御さんからの理解・協力をえて救われることを願っています。
真剣に自分の子供と向き合って、お子さんが少しでも”場面緘黙症”の悩みから解放されるように、お子さんの苦しみを理解し手助けをしてあげてください。
それと、お子さんに向けて、
- 『学校でもっと話しなさい‼』
- 『もっと元気出しなさい‼』
とか、お子さんを叱るような言動を控えてほしいです。
必ず「話せない・話さない」原因を考えてから声をかけるべきです。
原因も理解していない状態で、無意味にお子さんを叱る必要はありません!
現実を直視せずに「なんでもできる子だ」と、過度な期待を押しつけていないでしょうか?
そんなことよりも、お子さんが学校で何か悩んでいることがないか?
まずは”今”、この瞬間に寄り添うことが大切です。大事なのは”今”なんです。
親から【話すことを強制】されたら、子供は傷つき、もっと悩んでしまうからです。
(※お子さんの大切な自尊心を傷つけてしまいます)
「親は自分の苦しみを理解してくれない、分かってくれない」と、不信感をもつ子もいるかもしれません。
お子さんと真剣に向き合ってください。お子さんの将来のために。
場面緘黙症で悩んでいる子供達へ伝えたいこと
場面緘黙症で悩んでいる子供達が、この記事を読みにきてくれたなら伝えたい。
【僕が伝えたいこと】
学校で友達と話せなくて悩んでる子たちへ。
1人で苦しまないでほしい。親に相談するのは確かに辛いことかもしれない。
でも、我慢していたら、もっと辛いだけだよ。周囲にSOSを発しよう。
必ず理解してくれる大人かいる。
親に話しにくいなら、担任の先生でも、保健室の先生にでもいい。
話しやすい【大人】に相談してほしい。
きっときっと助けてくれる大人がいる。理解してくれる大人がいる。
※追記
担任の先生・保健室の先生に直接、言葉で相談するのも難しいよね。
言葉で伝えるのが難しいと思うから、学級日誌・連絡帳などで、
悩みを紙に書いて先生に相談するのも一つの方法として考えてみてね。
悩みを相談するのも”勇気”が必要だけど、大人は理解してくれると思うから
安心して相談してみよう。
改めて…
友達と学校で話せなくて悩んでる子供たち、大人達へ助けを求めよう。SOS(助けて)を発信しよう。
通っている学校の保険室の先生でもいい。
「この人には相談できる」という信頼できる大人に筆談でもいいから伝えてみよう。
自分の感情をずっとずっと我慢しちゃいけないよ。
絶対に君の周りには理解してくれて協力してくれる大人が必ずいるから。
ずっと何年も1人で抱え込まず、誰かに相談してほしい。心から願っています。
大丈夫、ちょっとだけ勇気を出していこうね。
長くなりましたが今回はここまでにします。
この記事の内容に関して、個人的なご質問等ございましたら「お問い合わせ」からご連絡ください。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。
補足:大人になった元緘黙の僕がおすすめしたい書籍を紹介
この記事で紹介したとおり、僕は幼少期から高校卒業まで約14年間にわたり場面緘黙症でした。
そんな元緘黙の僕は、大人(社会人)になっても今の社会に「生きにくさ」を感じています。
- 他人と比較してしまったり…
- 周りからの自分の評価を気にしてしまったり…
- 過去を悔やんでしまったり…
- 自分の気持ちをうまく伝えられなかったり…
- 理不尽なことがあっても指摘できなかったり…
僕が場面緘黙症だった頃よりも、現代はSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が発展してきました。
毎日SNSに浸かっていると、楽しそうにしている他人と比較して落ち込んだりしませんか?
僕の場合、人生うまくいってそうな人の姿に「反応」してしまいがち…
とはいえSNSを閲覧することが悪いわけではありません。
例えば「お子さんの面緘黙症で悩んでいる親御さん」との情報交換・悩みの共有ができるメリットもあります。
情報があふれる社会ではありますが…元緘黙の僕が読んで気持ちが軽くなったなった本がこちら。
- 書籍『反応しない練習』 著者:草薙龍瞬
とくに元緘黙の大人の方で、
- 最近、生きにくさを感じる
- いろいろなことに精神を使いすぎて疲れた
- 他人の言動・行動が気になってストレスが溜まる
こんな方に 『反応しない練習』を一読してもらいたいです。
ちょっとでも気持ちがラクになってもらえたら幸いです。
書籍『反応しない練習』 は「Amazonオーディブル」で聴くことも可能です。
Amazonオーディブルなら著者の草薙龍瞬さんご本人が朗読されています。
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- 残念ながら…場面緘黙症に関する書籍はオーディブル化されていません。
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